縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

例大祭本祭り

 

  昨日と同じ様なことで終了。以前は、私の息子らが、「稚児舞」等を行い、神への奉納を行っていたのだが、今は、その「稚児」がいない。因みに、我が母校の今年の小学校新入生は「ゼロ」だと聞く。

 子供の頃の記憶を辿ると、獅子舞、盆舞等が思い起こされる。それに、参加者の思い出話に出てきたが、子供の頃、私たちはこの神社を遊び場にしていたのだ。今より広く、濡れ縁みたいのがあって、ある人によると「泳ぎ疲れたら、この板の間にみんな寝っ転がっていたよ~」。

 

 宮司によると:祭りは”神様を待つ”から来ている。ここは海の神様だから、「あ~、神様、今年も宜しく海の幸を・・・と、神の到来を待つ・・が鈍ったものだ」と言うことらしい。

 

 神道については諸説紛々。私は縄文人として、八百万的自然への感謝をしているので、原始的神道なのだろうと思う。だが、明治維新からの「国家神道」的なものがある以上、「本来の神道」と「偽神道」との区別はする必要がある。いずれ、触れることにする。昔から、住職・神主は、知識のより所として、様々なことを住民に伝えていたようだ。で、本日も上記のように宮司のお話が。

 因みに、私の家は、お金が払えなくて、あるお寺さんから「破門」されたそうです(by叔父)。そのためでしょうか、位牌は父のが「仏式」母のが「神道式」です。尤も、母の葬儀は私の責任でしたから、一番やりやすい「神式」しましたが。

 

 

 

 いやいや今日はお祭りの話でした。通常、お祭りとは「わっしょい」的でしょうが、実は、仏教で言う「回忌」を「祭り」と表現していると思えばわかりやすいでしょう。昨年、母没後10年で神主さんにお願いしたところ「10年祭ですね」ということ。「祭り」と表現されることに、・・・。「違和感あり」。

 

      私は、世の中と、どうやって整合性を取るのだろうか・・・