縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

海岸清掃

 「お父さん、みんなもう行ってるよ!」

 と、声かけられて、のろのろとベッドを抜け出すこと朝6時過ぎ。昨日、海岸清掃の集合時間を確認したのですが、「?」とのこと。何でも、目が覚めてから行けばいい、とのこと。ウ~ン、いくら郷にいれば~だとしても・・・。集合時間と言えば、この集落の法事関連も面白いですよ。普通、○○(地名)時間と言えば、予定時刻から遅れると言うのが相場と心得ているのですが、ここの集落は逆です。告別式は12時から、としますと、30分前くらいには始まると考え、行動する必要があります。「みんな揃ってますかな?」「ダー(ン?ロシア語かい)」「じゃー、始めましょうか」・・・。

 一事が万事この調子で、今朝の海岸清掃も、のろのろと出かけた私が最後。カカはとっくに海岸へ。現場へ着くなり「五島に帰ると、色々と仕事んあるですね。」と、声を掛けてくれる男性。顔に見覚えがあるような、ないような。実は、これ、一番困ることで、15歳までの古里歴しかないため、顔と名前と・・・、いやいや、殆ど分かりません。集落の様々な責任者を依頼されるのですが、土地勘はあっても・・・状態で、暫く待って貰ってます。

 海岸は、石ころだけです。一時、護岸工事のため潮流が変わり、砂地ができかけましたが、昔の石ころだけの海岸に戻ってます。ただ、やむを得ないとはいえ、テトラがあるのはつや消しです。テトラ以前は、石ころ、玉砂利と段階があり、優雅な浜辺でした。正直言って、少年(?)の頃の「海辺」とは、完全に乖離しています。随分昔の話ですが、従姉妹が「こがんに(こんなに)海岸の工事ばすっとなら(するなら)もう、子供達も連れてこん。古里じゃなか。」と、父親(私の叔父)にくってかかっていたのを思い出してます。「仕方んなかったい。台風よなんよで困っちょっもんのおっけんが(台風などで困っている人がいるんだから)by叔父」。

 実は、作業が終わりの頃、似たような話がおきました。防波堤の根っこに三角形をした岩と、その下に三角に仕切られて、水深30センチ~80センチの自然プールがありまして「さんかく波止」と呼ばれてました。海デビュー、初心者講習等々、安心して監視できたために重宝していました。これが、防波堤やボート用滑り台工事のため、潰されたのです。私の息子も残念がっていました。

 で、曰く「人ん段々おらんごとなっとに。(人が段々いなくなるのに)。こがんせんにゃ(こうしなければ)ならんかったっじゃろか(ならなかったのか)。」と。これからは別として、私に、工事関連の論評はできません。ですが、実は3年前、ここの集落を含む地域が「国選定重要文化的景観」に選ばれているのです。だとするならば・・・、と、残念で成りません。

 

 掃除作業は、大体が漂着物(流木、日用品、海草等)の撤去(海岸で焼却)、及び、近辺の草刈りでした。海草を久しぶりに拾いました。「ミル」「トサカ」「オゴ」「テングサ」等々(名前は当地の呼び名)。子供の頃に比べ、量は微々たる物でした。磯焼けが収まっていないんでしょうか。

 

     縄文人は、人工物より、自然と戯れたいのじゃ!