縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

ん、蝉?

 

 あさ、9時前でしょうか、「ジ~」という音・・・。

 ん、という感じで、外の作業を続けていたのですが、突然、「せ~せ~せ~」と、我が家の裏の方から独唱!「蝉ばい、夏ん来た~」と、思わず、家裏まで、駆けつけていました。場所は恐らく、かたい(椿)の木だったのでしょう。ほころびる自分の顔が自覚できました。例年でしたら合唱。おまけに、20秒にも満たない長さ。何となく、蝉が「鳴く」ではなく「哭く」と想像してしまいました。明朝、今日のクマゼミ達が合唱を繰り広げてくれたら・・・様々な杞憂が、少しは払拭できるかもとは思いますが。でも、この世界を創っていくのは自分自身なのですよね。思い通りの世界。自分が目にする世界は、自分が望んだ世界!と言う意味での・・・。

 

 蝉の後は念願の「畳干し」。10数年ぶりにお天道様のお世話になりました。たかだか6枚の畳、簡単そうに思えました。(元々、我が家の畳は20畳ほどでしたが、母の車椅子、泥水被害による畳の腐食による板張り化で、畳敷きは6畳だけ)。ところが、泥水被害(我が家の裏から雨水が家地下に流れ込み、床下を浸食すること)は最後の部屋にも及び、一部畳が泥だらけ。 

 カカ、畳職人。きちんと治めて「喝采じゃ~」。疲れました。畳は意外と重く、毎年これを、亡き母が一人でこなしていたのかと思うと・・・。本家の叔母も畳干しをしたいけれど・・・頑張ってみますかね。

 畳扱いの中での一服。 

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  子供達が少ないのです。この時期でしたら、わらわらと集まった子供達で賑わう海辺、そこで、「生」そのものを味わっていたものです。

 

      生き抜くこと、それが、縄文人のDNAかも