縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

やばら(い)

 今日は、やばら(家祓い)でした。

 神主さんが、希望する家々をお祓いして回る一種の宗教的行事で、私の子供の頃に「お付きの者」という事で、近隣の集落を神主さんについて回ったことがあります。

 2~3日前から、有線放送での案内があります(子供の頃は皆無、伝言だけ)。その後、地区担当とでも申しましょうか、神主集団が、それぞれに分かれて希望家を訪れ、お祓いを行います。ここ10数年(母逝去後)は叔母にお任せでして、夏期は初めての立ち会いと成りました(この行事、冬もあるのです、年越しの・・・)。

 式はまず、神棚と荒神様に榊を供えます。神主到着までに神棚の前に、塩とお米を小皿に盛り、お礼の金子を少々添えます。後は、神主の祝詞があり終了です。お米と塩はお清めを含め、祝詞と相前後して神棚近辺に蒔かれます。

 で、子供の頃の「お付きの者」。何者かと言いますと、実は、荷物担ぎなのです。その荷物とは、先ほどの「米」と「礼金」。それらを袋に入れ担ぎながら、各家々を訪問する神主の後を追うのです。今は小皿程度のお米ですが、昔は、一升枡で待ち受ける家もありまして、10軒も回れば、結構な重さになった記憶があります(何かしら、重くてべそかいたような)。何とか頑張れたのは、「任務終了」後のお手当です。貧しかった我が家にとって、有り難いお手当でした。

 神職(本日程度の)の時給を計算してみました。ん万円です。最低賃金がアメリカでは10ドルから15ドルへアップと進行する中、日本ではただ15円のアップ。おわかりですよね、何を大切にするかで、「物」の価値が決まっていくと言うことが。

 

 

    縄文人は、ただ、ゆっくりと生きたいだけなのだ!