縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

おや~、結構なものが・・・

 子供達からお歳暮が届きました。

 地ビールの様です。それも、発泡スチロール・冷蔵です(フム、心して掛からねば成るまい)。しかし、残念ながら、試飲は5日までお預けです。先日より4日まで、今年最後の断食中です。5日の夕食は「ピリ辛味噌牡蛎鍋」に決定。牡蛎に合うビールをチョイスして、楽しんで見ましょう。息子達よ、ありがとうネ。

 ところで、断食をしていると、色々と、面白いことに気付きます。その一つが、「食事というもの、準備から食事、そして後始末」と、結構な時間が掛かると言うことです。私が食事時にすることは、99%食事する、つまりは食うだけです。従って、断食最初の頃は「うわ~、ゆっくりと出来る時間が取れて、楽~ byカカ」でした。自分はあり合わせのものを摂っているようです。食事は家族揃って・・・、が大事ですね、言わずもながですが。カカの孤食を眺めていると、特に、そう感じます。

 断食中に気づいた二つ目、「飲み食いは、日常生活でのアクセント」的面があると言うことです。今日のように雨が降りますと野良作業は出来ず、家でゴロゴロしています。何せ、退屈で疲れてしまったのです。「断食中でなかったら、何かをつまんだり、夜は、お酒をたしなむ」と、成るのですが・・・。趣味に没頭するにしても、やはり、某かの食べ物は潤滑油として、時間の「けじめ」「アクセント」にも成るようです。生来、食事自体を面倒と思う私にとって、少しく、考えなければいけません。

 

   縄文人は強制断食、つまり、慢性的飢餓だったのでは?