縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

昭和のかほり

 昭和への郷愁ダス。

 3丁目の夕日、又々、観ちゃいました。そこここに、昭和のある風景がちりばめられていて、ほっこりとしています。以前は、西岸良平作品(ビッグコミックオリジナル)にて、その都度、昭和を楽しんでいたものです。私としては、ビッコミ漫画の方が良く描けているような気はします。そういえばかなりの昔、本宮ひろし氏(漫画家)のインタビューを観る機会があり「漫画と映画は違う。漫画は、作者の思いがストレートに伝わるが、映画だと、脚本・監督・俳女優の動きと台詞回し等で、イメージそのものが変化する。」だから、映画にはしたくない旨の発言を記憶しています。成る程とも、思っています。

 「昭和」と言えば、ここの生活もまた、昭和なのかも知れません。TVやインターネットの普及、自家用車所有等で随分と、所謂「コンビニエンス(便利、好都合)」的生活ツールは確かに、平成(?)ですが、私が見つめるのは「精神性・互助的」生活です。勿論、平成的生活者は居ますが、昭和の精神性を受け継ぐ人達が多数、存在しているのです。若しかして、私がブログを立ち上げた潜在的理由の一つに、「双務的生活」を標榜する「昭和的」なものが有ったのかも知れません。「縄文人云々」は、究極の「昭和的」なものであろうかと。

 さて、昨日、誤って一月以上分の記事を消去してしまいましたが、ここの日記的記述に併せて写真を記録しているため、写真を眺めることで、何が有ったのかは、推測できます。1月25日のブログ(写真のみ)を再掲し、現在との比較を。

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 確か「立て-、立て-(by  あしたのジョー?ジャンプの原田?)」と書いたような。この空豆さん、本日の様子です。

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 立派に復活。カカの愛情の賜です。

 

   縄文人は、気を取り直して、ブログを書き続けるのです。