縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

ミニディ

 今日は定例ミニディ。

 一時、寒いからという理由で中断していた様ですが、本日、開催。例によって、お土産を戴きました。

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 餡ときな粉のぼた餅です。毎回、昼食を賄う時の残り物が我が家にもお・こぼれて来ます。私は今日夕食までの断食中で、夕食時、有り難く戴きました。

 一人暮らしが多い人達にとって、料理は大変な手間・苦労。ましてや、手の込んだ物など作る気も起きないでしょう。それを緩和してくれるのが、この「共同炊事」的料理法。献立は、前回散会直前に決めているようです。因みに、来月第一回(月二回開催)の料理は「ちらし寿司、茶碗蒸し、お煮染め」ですと。カカの、ひな祭り云々がヒントだとか。以前叔母に「私の押しつけじゃろうか。みんなは、どがん思ちょっとじゃろ(皆さんがどう思っているのか)」と言われた記憶が蘇りますが、どうしてどうして、「皆さん、楽しかごたる。よう食べ、よう喋っとっとバイ。 byカカ」。孤独に落ちこむことがないよう、良い意味での共同監視とでも申せましょう。

 しかし考えてみれば、日本人は、昔から相互扶助的生活をしてきたのです。漢字で言えば「双務的」。平たく言えば、「催合う(もやう)」、またの名を「結い」ということです。子供の頃、サツマイモの収穫時等、多数の人手を必要とされる時、この「もやう」が日常的に行われて居るのを、目にしています。翻って、世界では・・・、残念ながら、多収入の人々は「片務的=一人よがり?」、それ以外では、双務的人達ががじわじわと増加している感じでは有ります。

 

      双務的になりたければ、縄文人を見習いなさい。