縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

昨日の作業を

 続けました

 今日は、叔父叔母の近況報告がてら従兄弟が来訪。ついでに、チェーンソーの具合を打診。すると、いつの間にか、件の従兄弟、駐車場下の木を伐採開始。良く切れてる音です。フム、これならば、例の所も直ぐに終わるワイ、と、食事後トライ。

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 ノコギリでギーコギーコのカカに、チェーンソーを使用する旨伝え、仕事開始。調子よく、計画外の奥まで、伐採してしまいました。

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 これで、後10年ほどは手入れが要らないでしょう。猪君メッともなりまするか。明日からは、短く切り分け、柴・薪の分別に精を出します。

 それにしても、畑に植えてもいない木々が成長するとは・・・、何方でしたか、「森に木を植える必要はなく、自然に任せれば、万事、自然がバランスを取ってくれる」旨の発言があったようですが、Uターンしてきて目にする故郷の段々畑の変わりように、「ウベナルカナ」の心境です。人間が下手に自然に手を出すと、しっぺ返しを食うということでしょうか。自然は征服するものではなく共存していくもの、でしょうね。

 

    縄文人は、自然との共生以外考えてはいませんでした。