縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

曇り時々陽射し

 風が段々と強くなってきています

 週末は冷え込むとの予報。いよいよこの冬、最後の冷え込みでしょうか。暦の上ではとっくに春なのですが、旧暦では本日1月30日。やはり、季候は旧暦の方が実情に合っているのかも知れません。

 さて、この旧暦。現在使われているグレゴリオ歴以前を指すようですが、日本の旧暦は「天保歴」と言われています。

   天保歴(てんぽうれき)は、かって日本において使用された太陰太陽暦

   暦法(和暦)である。正式には天保壬寅元歴(てんぽいじんいんげんれき)

   と呼ぶ。これは過去に中国で用いられた暦法にも同名の「天保歴」が存在

   するためである。〈以下略〉        by  Wiki

と、宣っていまするが、私の子供の頃の各行事等は殆どが「旧暦」でした。従って正月は二度。新正月(太陽暦)よりも、旧正月(太陰暦=旧暦)の方が寒かった記憶があります。お盆には、はっきりとした記憶がありません(旧は7月15日・新は8月15日を中心)。いつ頃から新暦に変わっていったのか、判然とはしませんが、学校行事では、新暦でした(但し、旧暦に基づく行事については配慮されていた様です)。上五島地域では旧暦を使っている集落もあるようで、七夕飾りを旧暦の7月7日に行っている所(奈摩・青方)があり、新暦お盆の時期まで、各家庭の軒先に飾りが揺れているようです。

 我が家の行事で旧暦を必要とする時、それは、「弘法大師空海」つまり、お大師様への供養・報謝を行う日=3月21日(旧暦)を知る必要があることです。昨年は間に合いませんでしたが、数年前、帰島し、この日を迎えたことがあります。

 通常「おだいしさま」と呼称し、供養・報謝と同意義とされる「お接待」を行う日です。この催しを行う家は限られていて、「どがんして(どうして)、おっがえ(私の家)で、おだいしさまバ、すっとか。」との私の質問に「確か、○○の回復祈願バしたからじゃろ by叔母」。大師像を仏壇に安置していますが、そのような理由は、記憶から消されているようです。人間て、ほぼ自分に関係しないと、記憶からも抹消する動物でしょうか。ともあれ、今年の「おせったい」は、4月27日、お遍路さん達を迎え、手助けする心構えで、望んでみます。昔、亡母から聞いていたあるフレーズが・・・

  「あんな~、お大師様ん日の近づけば、どっからか、ぜんの(銭の)            

        寄ってくっとよ。だけん、お接待の銭んには困らんかった。」

母と弘法大師との関わりは、書き出すと長くなるので、割愛します。ただ、「時期を待て、時期を待て」と、三回ほど、お大師様に胸を叩かれた、との話は、いつまでも記憶に残っています。 

         縄文人と弘法大師・・・どうじゃ?