縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

待ちぼうけで、疲れました

 雨風の一日に、おだいっさんディ

 当地での、「おだいっさん(お大師様)」行事はいつ頃からか、調査の必要があるかも知れませんが、子供の頃は、「六根清浄」を唱えながら修行僧と思しき数人の団体を、幾度か目にしています。これが果たして、「お大師様」行事とリンクしているのかどうか、私には、判然としません。なお、福江三井楽町には「辞本涯」と刻まれた碑と空海像を設置するなど、空海と五島とは、何らかの因縁めいた繋がりがあるのかも知れません。オイオイ勉強することにしましょう。

 で、本日のおもてなし。最近の傾向は、「お茶ん一杯だけでも、良かっぞ」とのこと。しかし、これが京都の「ぶぶ漬け」エピソード。色々と、知恵と、お金を絞ります。今年の我が家「ぜんざい・沢庵・酢の物・タケノコご飯のお握り・トクッテン(心太)等」そして、お持ち帰り用に、紅白のお餅と砂糖を一袋、と言う具合。お客様の殆どが単身者のため、手の込んだもの、手軽な物を選んでいます。子供の頃は、常に十数人のお客様がテーブルに着き食事を摂っていましたが、本日は、数人。限界集落を遥かに超える所の、悲哀です。いつぞや、TVでみた、東京オリンピック招致用プレゼンテーションにあった「お・も・て・な・し」と宣う某女の、見せかけとは異次元の「お接待」がここには有るのですが。

 

             縄文人、明後日は神道家。