縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

想ひ

 今日はミニディ

 「晩、ぬっ時、もうきつかてん、明日は畑もせんぞ、ち、思うとばってん、朝起きたら、ま~た、畑ばせんばちなるもんな~」

 「晩、寝る時、もうきついから、明日は畑はしないぞと、思うのだけど、朝起きたらまた、畑をしなくてはと思うのですよ」

 が、皆さんの想いだったそうです。畑が好きとか嫌いとかではないようで、ここの集落(というより殆どの昔の五島人)の女性達は、それぞれ嫁ぎ先では義父母を含め、同居人が結構な人数だったようで、所謂「嫁御」は、重要な働き手。家事・育児に、農作業等、フル回転していた様子。畑仕事は、身につきすぎたルーティンともとれます。「腰ゃ、ひん曲がっても」畑を耕す・・・、これが、五島女の心意気でしょうか。カカ、段々と五島女に・・・。

 今日の和みは、雨上がりの海岸

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 海岸の石、昔は小さくきれいな玉砂利が殆どでしたが、防波堤(通称、波止)工事後、海流の変化やテトラポットの配置等で様変わりしました。この様な状況を懸念した伯父の長女が、伯父に食ってかかったことがあります。「こがんな風なら、こどんも連れてこられん(こういう風なら、子供も連れてこられない)」「ばってん、海岸べりん家んこっも考えんば(でも、海岸縁の家のことも考えてくれ)」が、やりとり。

 古里は、どう変化しても、古里です。件の長女、一族をまとめ、両親を良く労っています。

 

     縄文人は、天気回復を待ち望んでいるのだ。