縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

そして・・・

 静かな日常に

 とうじんなか(寂しい)とですよ、人んおらんごとなると。古里を出て、生活している人達、あなた方の親は、毎年、嬉しさと寂しさを幾度も味わっているのですよ。「明日は我が身」とは、よくぞ言い得たものと、感じ入っています。かって、私がそうであったのですから。

 齢15を過ぎてから、帰島するのは盆暮れのみ。妹と偶然一緒に帰った年、「いっぺんで帰らんでくれ」と、亡母に言われたことが記憶にあり、今、そのことが痛切に感じられます。本家の伯父・伯母は、もっと、苦しいのかも知れません。

 時は、ゆったりとも、早くとも流れます。それは、個人の感覚。流れがどうあろうと、暖かいものを運んでくれたら・・・、と。

 

         縄文人、今日は少しおセンチ