縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

不自由を常と思えば不足なし

 今月の標語

 「知足(我唯知足)」でしょうか。むか~し、別れゆく人達に託す言葉は、殆ど、これでした。飽くなき欲望を膨張させていくこのご時勢、今、一番必要とされている事かも知れません。

 最近の叔父の散歩コースが、我が家の周辺。やはり、「神経痛的腰痛(私の造語)」がそうさせるのでしょうか。本日も、「のとこ」作業中に「お・邪・魔・しま~す(吉本新喜劇風)」と、にっこり。「かたし(椿の実)ん、まだ残っちょっじゃろが。採りに行かんか。」とか、叔母に「ここん葛ば切れ」とか、口は達者。ただ、叔父家と私の家との間にある坂道の登りは少し辛そうでした。叔父の出ばりも久しぶりで、みんながゆったり。明日の叔父、お気に入りのホーム訪問です。

 「のとこ」、今日は、断続的に霧雨状態のため、無風を見越し、除草作業の後始末。

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 後は、このズッキーニが何処までがんばれるか、で、耕作面を考えます。因みに、ズッキーニの育ち方は、黄色い箱の横幅から推測して下さい。

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 まだまだ、収穫出来ています。

 一日一日が大事、という感覚が、やっと、出来てきました。いや、できつつある・・・、が正解ですか。やはり、「縄文人」と、大見得を切った甲斐がありそうです。

 

         縄文人の「ほわ~ん」を大事にします