縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

草刈りでした

 畑3枚分

 午後から、カカと二人、始めていたら、S嬢の助っ人。実は、どこから切っていこうかと考えた時、兎に角、エンチ(自分家)は後回しにして・・・、との結論。結局、S嬢の畑(WM装置用)をメインに3枚分(本家の石垣もきれいに)整理しました。

 ただ、切りながら考えたこと。

 畑の一部に豆が植えてあり、その豆を避けながら草刈り機を操っていたのですが、フト、有ることに思いが。今年7月、神奈川県で起きた、障害者施設襲撃事件と、今日の草刈りが突然、リンクしたのです。

 昭和天皇は「雑草という名の植物はない」と、言われたそうですが、草刈りの対象の殆どは紛れもなく、「雑草」と呼ばれる草たちです。何の事はなく、私達人間は、自分たちに利益をもたらしてくれる”モノ”以外は、排除する傾向にあります。彼の障害者襲撃事件犯人の意向は「邪魔者は消えろ」です。「排除の論理」そのものです。勿論、人間の命と植物の命とどちらが大切か、との議論は有るでしょう。しかし、「皆生きているのです」。昔、面白い話を聞いたことがありました。それは、「わ~、蛇。殺して、早く。エッ殺したの。残酷ね」というフレーズ。人間の業なのでしょうか、自分が手を汚さなければ良しとする、所謂、責任逃れ(ぼくちん、しらないも~ん=アベちん?、本日の国会)と成りましょうか。

 五島へのUターンは、様々な「いきもの」達との付き合い方だと気付かされました。やはり、私が銘とした「縄文人」は、正しかったのだろうと思います。現に、縄文の命と思える「共同」は、日常茶飯事です。

 

        縄文人、明日はエンチの草刈りダス