縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

ひねもす

 家ん中

 寒い上に曇り空、作業意欲も失せた一日でした。動いたのは、缶・瓶・ペットボトルのゴミ捨てだけ。何となく、ん十年前の日本海側での冬生活を思い出します。毎日がドンヨリとした天気。油断すると、鬱になってしまいそうでした(鬱の治療には太陽光が一番です)。明日は、若干陽射しが戻りそうなので、「のとこ」防鳥網の仕上げにかかりましょうか。

 ところで、キューバの革命家とされるフィデル・カストロ氏が亡くなりました。ざっと拾ったところでも、様々な見方があるようです(当たり前ですが)。ただ、2003年広島にて原爆ドームを視察した際に「人類の一人として、この場所を訪れて慰霊する責務がある」とのコメントには、大きな感動を覚えます。「過ちは繰り返しませぬ(慰霊碑)」との文言と、暖かくシンクロします。つい最近、どこぞの大統領の芝居がかった慰霊所作には、嫌悪感すら持ちましたが。

 カストロ氏についての情報は、心して咀嚼すべきでしょう。特に、ダメリカからの情報発信は、全て、バイアスが掛かっていると見て宜しいかと。何せ、彼の米帝国盲従者を蹴散らしたのですから、ダメリカ支配層(と配下のマスゴミ)としては、苦虫をかみつぶした思いを持っているはずです。彼は、本当に独裁者だったのか、と言うことも、併せて再考すべきでしょう。尤も、「独裁者」の定義次第でしょうが。

 

          縄文人は、縄文主義なのです