縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

振り向くなよ~

 振り向くなよ~と、

 全国高等学校サッカー選手権大会の大会歌(阿久悠三木たかし)ではありません。実は、今日16時からの大祓神事の後、託された事への注意事項でした。

 初めての経験。大祓人形(おおはらいひとがた)という、人の形に切り抜いた紙、人形(ひとがた)に個人の「罪、穢れ」を移し、祓い清める神事があります。神事終了後は人形(ひとがた)を海に流すのですが、その役目が私に。その時の最大注意点が、流した後「振り向いてはだめ!!」です。いわれは・・・、色々あるのでしょうが、とかく、神事に見るまでもなく、仏事においても、様々な「しきたり」があり、儀式嫌いの私にとって非情に煩わしくなります。「しきたり」自体意味はあるのでしょうが、質問するのも間が抜けている様で、気が進みません。兎に角、先ずは言われたとおりに。 大祓神事で一年の儀式終了です。何かしら、神道に振り回された一年でもありました。

 神道とはなんぞや、と、祝詞を聞きながら考えていたのですが、政治的向きを排除すれば、「縄文の息吹」そのものと、合点します。奥底に眠る太陽への崇拝。即ち、太陽神。自然を相手にしていますと、所謂、お天道様のありがたさが身にしみます。植物が太陽光を浴びて発芽し大きく成長する。此を、神の御技と言わず、何と呼びましょう。すぐ目の前に神がある、です。

 今年も残り数時間。除夜の鐘を聞きながら神社への初詣。日本人の良い加減さ(決して自虐的ではなく、柔軟さを強調したもの)がもたらす、年末年始の一大催しです。午前一時には権禰宜殿がお越しになり、祝詞を。そして、又、新しい年の始まりです。

 一年間のご愛読、ありがとうございました。昨年5月のUターン時から、毎日綴って来た当ブログ、途中、不手際で昨年12月から今年1月分のブログを消去しては居ますが、間違いなく、連続投稿です。明日からまた気分を入れ替え、古里便りとして綴って行きます。ご愛顧の程を。

 

         では、皆様、良いお年をお迎え下さい。

                      BY 縄文人