縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

「セーセーのひっちゃかまして」

 生前の叔母の口癖

 「セーセー」、蝉の鳴き声が、五月蠅くて・・・、ということです。その叔母も、本日3回忌。滞りなく終了しました。神道にいう、「神上げ」をも儀式として行いました。「神上げ」を行いますと、故人が神になり、以後、供養(各種の儀式)をする必要はない、とするようです。ワダスには、殆ど理解出来ないことなのですが、宗教的儀式には色々と有りますので、ここら辺で止めときましょう。ただ、残された子供達の負担はかなり軽減されることでしょう。親の供養を「へ」とも思わない人達は別としまして・・・。

 で、朝方、自宅裏口の網戸に訪れた「セーセー」。終の棲家と決めたか、と思い、暫くは、裏口からの出入りを自重していたのですが、いつの間にか、旅立っていたようです。

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 集落の人数が結構増えました。明日からも又、帰島人が・・・。有り難い事です。親がいてもいなくても、でしょう。古里ですからね。若しかして、古里を忘れる人達は、ご自身の立ち位置さえも忘れるかも・・・、と考えてしまいます。

 その、古里の夜の一枚。漁り火と月。

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 ついでに、収穫した雪化粧を

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        明日は海遊びか縄文人