縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

合同先祖供養

 3人娘が出席

 とある神道系の建物の一角で行われる、供養祭です。月一、その月に死去された先祖をお祭り(神道では法事系を”祭り”と称します)する儀式。参加する人達は、それこそ、毎月の参加が必要とされる所もあるでしょうし、年に一回と言う所も有るのでしょう。我が家は年に3回程。

 何度も触れていますが、ここ、五島に住んでいますと、宗教バラエティに出会えます。ワダス自身が、特定の宗教に帰依しているわけではないのですが、現在は、地域神社(神道!ダスが、複雑な見方も・・・)の代表。ただ、儀式のみの参加と捉えて戴ければ、理解しやすいのかと。つい最近まで、神道祭での所作にも”我流”を通していたのですが、最近は、神道流ー二礼二拍手一礼ーを使用。段々と、堂に入ってきているようです。 

 人間が丸くなったのでは有りません。縄文の心意気とは「全てを受け入れる」との観点からです。実体のないものにあれこれ注文しても無駄でしょうし、生きていくのに必要な物が何かを考察した時に、自ずと、結論は出そうですので。宗教心の替わりが有るとすれば、それは「信条」。私の場合は「三方得」です。

 本日の作業は、駐車場と放棄畑4枚の除草。満開の黄彼岸花で和みの一助に。

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          明日も又・・・