縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

年末は何かと・・・

 舞い込みます

 本日は、神社のお札を受け取りにさる神社まで。地区内の希望者に売り込むのです(強制ではないのですが)。中には、交通安全等のお守りを注文する人も。何かしら、神主達に良い様に使われている様で、釈然とはしませんが、これも地域へのお手伝い、と、割り切るしかありません。

 私の宗教観は時折述べてはいますが、特定宗教はありません。マ、強いて言えば、縄文教かと。物事を成すに、金のかかる事は承知してはいますが、時に、「信心のためではなく金のためかい」と、毒づきたくなる時があります。

 つい最近、若い人と話す機会を持てたのですが「ここの人達は保守的過ぎて」と嘆いておりました。どのような意味を持っていたのかは、推測の域を出ません。例えば、私の持つ悩ましきことー昔からの風習の継続、その意味と発生元不明状態ーを是正出来ないか、とするもの。長いものに巻かれろ状態では、とも考えられます。

 高齢化しますと、過去に培った経験だけが頼りとなるでしょう。新鮮な風を吹かせたいのですが、中々です。

 

      あれやこれやと師走まっただ中