縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

「令和」る

 ちょっと、皮肉れてみました

 マスゴミでは「”令和”は万葉集から」と、もっぱらの噂。

 しかし、その大元を辿ると、行き着く先に中国の詩文集「文選」有りのようです。後漢の文学・科学者であった張衡による帰田賦に、「於是仲春令月 時和氣清」と有るそうです。

 なお、この詩、内容は「こんな腐ったお殿様や都なんざ、もう沢山。早く田舎に帰って、畑でも耕すべ~(古文に暗いため、ネット界隈で内容拝借、意訳、ごめん)」とのこと。

 愉快ですね~、丸で、現在の政府・官僚を揶揄しているようです。確か、張衡の頃は宦官が跳梁跋扈していた様な・・・。フムフム、ですな。まるっきり、現代的。

 で、何故の「令和」る、か。私はとっくに、「令和」しているのです。それも、数年前から。当地にて、ゆったりと世間を眺めてみるに、張衡の気持ちが痛い程わかります。

 本日のミニディは”お花見”。桜ではなく、どうやら、個人のお花畑でお茶を濁した様です(個人様失礼)。申し訳に、集会場前の桜と、久しく聞いていない子供達の声に誘われての一枚を。

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                 では又