縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

神に見捨てられたか?

 神を見捨てた罰か?

 ノートルダム寺院の火災。燃え、崩れ落ちた天を目指す塔はバベルの塔か?バチカンの、神に背く諸々の不祥事に、神が鉄槌を・・・、と言いたくなります。

 我良くば・・・、が西洋風。所謂、キリスト教的世界観はこれ「オイだけ良ければ良かとさ」の世界。だから、「汝の敵を・隣人を」愛せよ、と。私流に言えば、”後ろめたさ”がたっぷり。”懺悔します”と神父と陰湿な掛け合い漫才を行うのも、似非宗教を隠すため。むべなるかなダス。

 日本人には、縄文人の息吹が一番です。壊れていく”言霊”をつなぎ止めることで、少しく、宇宙崩壊に待ったを掛けられるでしょう。

 本日は、久方ぶりの作業。

 午前中は、昨日ゲットしたゴーヤーの植え込み。

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 「のとこ」と

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 裏庭、緑のカーテン

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 叔母の作業、波止場の作業、本日も皆さん元気一杯。

 私?午後から、カカと共に、軽~く畑2枚の草爺・婆、明日へと。

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                    では又