縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

運動会は雨の中

 応援へと・・・

 一時は、小中校合わせて千人を超した学区も、歴史を経て、昨年中学校は閉校、小学校は、何とか、生きのびている所。

 「子供んかわいそかけん、せめて、運動会の応援でも」とのかけ声で、雨の中(上五島内の小学校が運動会予定も、雨天順延校あり)、小学校まで。

 在校生、総勢22人。

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 子供達の数より、じ~じば~ばの数が勝る状況のようです。

 大昔は、集落毎に応援席を決められており、それぞれの集落は、この様に、木の杭(黒色)・藁縄(緑色)・筵(灰色)を持参しての席作りが恒例でした。現在では、テントを張り、パイプ椅子を設置。観客数に応じているのでしょうか、教職員の苦労が見えます。

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 ざっと、校内の見回りをしてみました。危険防止が至る所に成されており、窮屈な思いをしましたが、現代的には、致し方ないかなと・・・、本当は、思いたくないのですが。

 このフェンス、昔は無かった様な気がします。それよりも、フェンスの左側は石垣になっていて、その石垣を上り下りしていたのですが、誰にも怒られた記憶はありません。

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 他にも、猪害対策が施されており、全面、WM(ワイヤーメッシュ)化されていました。

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 恒例、「北小ソーラン」「新魚目音頭(叔母出演)」を。

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 子供達の健やかな成長を祈ります。

 私の頃、背丈がどれほどであったのか記憶に乏しいのですが、今日の、小さい子に対する応援の激しさに、胸を打たれました。

              では又