縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

流転、自ら確かめよ

 またもや借り物(根本仏教講義・日本テーラワーダ仏教協会

 今日は「カーラーマ経」から、”カーラーマ経十項目”のご紹介です。

 

 ある日、世尊(お釈迦様)がカーラーマ族の町に入られた時こう尋ねられた。

 「世尊よ、ある沙門、バラモンたちがやって来て、彼らは自分たちの説だけを正しいといい他の説を罵り、誹り、けなし、無能呼ばわり致します。さらにある時、又違う他の沙門、バラモンたちがやって来て、ほかの説を罵り、誹り、けなし、無能呼ばわり致します。一体誰が誠を語り誰が偽って語っているのか、と言う疑いがあります。どうぞ私たちに誰が正しいのか教えてください。」

 「カーラーマ族の人々よ、あなた方が疑うのは当然である。そして、疑いのある所に惑いは起こるものである。あなたがたは、ある、説かれたものを真理として受け取る時に・・・」

 として示された10項目です。

 1)人々の耳に伝えられるもの、例えば呪文、神の啓示などに頼ってはいけない。

 2)世代から世代へと伝え承けたからと言って頼ってはいけない。

 3)古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない。

 4)自分たちの聖書や経典に書いてあるからと言って頼ってはいけない。

 5)経験によらず頭の中の理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない。

 6)理屈や理論に合っているからと言ってそれに頼ってはいけない。

 7)人間がもともと持っている見解等に合っているというような考察に頼ってはいけない。

 8)自分の見方(見=けん)に合っているからというようなことだけで納得してはいけない。

 9)説く者が立派な姿かたちをしているからと言って頼ってはいけない。

 10)説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに胡麻化されてはいけない。

  

 このように、カーラーマ教は、モノを信じる根拠を全て否定しています。人は何かを信じる場合の根拠に”権威あるもの”を証拠として持ち出す癖があることから、真実を掴みにくくなり、安きにつく(同調圧力等)傾向を持ちます。

 釈尊(私はこの表現が好きです)の言わんとしていること、それは「自ら確かめよ」ということではないでしょうか。

                        では又