縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

霧雨と買い物と小値賀と

 朝から霧雨。

 昨日に引き続き、本日もノーワークデー。暇つぶしに、買い物へ。

 身土不二宜しく、野菜等の食材は地元産を選んでいます。今日のメインは「お米」。今までは、移住前の土地米を農家の人に分けて貰っていました。それも、あと2~3日のストック。選んだ物は、「宇久(五島列島の北方の島。隣が小値賀島)」産米。取り敢えずの軽い気持ちで、試食がてらです。実は、よく利用するスーパーの産直コーナーには、地元産の他に、宇久、小値賀、そして、福江界隈からの産直品が並んでいます。面白いのは鶏卵。以前は鶏卵場まで買い付けに行ってましたが、ここでは未だ不案内です。勢い、産直での購入になりますが、黄身の色が淡く(ゆうすげは、淡い黄色よ~・・・森進一「ゆうすげの恋」より)、少し戸惑いました。鶏卵の色は餌次第とは言いますが、どのような餌なんでしょう。遺伝子組み換えや「ホ」まみれの「餌」は願い下げ。出来得れば、放し飼いであって欲しいものです。

 

 子供の頃、小値賀には時々、連れて行かれてました。父方の祖母が小値賀出身という事もあったんでしょう、最大四丁艪(四本の艪を漕いで進む小舟)で、結構な時間を掛けて行ってましたネ。その頃は、スイカ・竹などを小舟で運んできてました。スイカは夏の風物詩。今こそ地元で栽培して居ますが、当時は、小値賀からの輸入(?)に頼っていました。竹の使用については、説明が難しく成りますが、当地で「なだら」と呼ぶ、竹で編んだ物干し場を作るためです。「なだら」の上での最大のお客様は「カンコロ」。「カンコロ」は、正月の「カンコロ餅」の材料(薄切り茹で干し)と、家畜の飼料用(薄切りにして乾燥させた物)としての用途があります。遠い記憶に、飼料用「カンコロ」は「供出」と・・・。何だったんでしょう。記憶に著しいのは、乾燥カンコロを詰めた俵の中で遊びたくっていたことです。

 

 小値賀ー祖母、と言えば「ばあちゃんはネ、(日本での)女性雑誌記者の走りだったんだよ。by母」。「それを、じいちゃんがかっ攫ってきた。」とか。愉快でしたね。「やるじゃん、じいちゃん、ばあちゃん」と。そう言えば、小さい頃から、家には分厚い読み物が沢山ありました。特に憶えているのは「ボヴァリー夫人」。何故かというと、15~6の頃、これが一時は発禁本になった曰く付きの物であったという事を知ったからです。

 

 祖母は色々な本を読んでいました。お・孫(私)も影響を受けたのです。小学校入学前には、多分沢山の漢字を読めていたはずです。例えば万年青!これを読めるように成ったのは、就学前です。母も結構な文学少女でしたので、家中が若しかしたら文学の海ではなかったろうかとさえ思っていますが、その末裔がこの程度の文章力。ただ、逃避行のため一言「男の話が全然出て来~ん」。そうです。我が家の男は飾りで、全ては、「おんな」が仕切っているんです。

 

          因みに、今の仕切屋は、カカ