縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

思い立ったが吉日

 カレンダーの今月の標語

 3月に入りました。巣立ちの月でもあります。

 思い返せば53年前の3月、中学を卒業して数日後、ここ(五島)をおん出て就職地へと向かいました。母と共に旅客船に乗り佐世保へ。佐世保から夜行列車(夜間に走行する急行列車)に乗り、関西地方の伯母の家へ・宿泊。姉をエスコート役に、東海道線の急行列車で富士山を観つつ、「あゝ上野駅井沢八郎)」をも通過。青雲の志も無しに現地へと赴いたものです。現地にて、母がコーヒーを飲めること、姉が(多分に)方向音痴だと言うことなどがわかり、15の春に彩り?を添えてくれました。懐かしい思い出です。

 3月は又、私の血統にとって、盛り沢山の出来事が・・・。

 霊界お誕生該当者;祖父(父の父)、父。

 現界お誕生該当者;母、姉、妹、倅。

何なのでしょう。何年か前までは、3月になると必ず心身不調に陥っていました。今は極力、お日様を見上げていますので、不調の波は殆ど被りません。以前の私、若しかしたら、「何かが来る~」と、自分で引き寄せの術を使っていたのでしょう。

 春がそこまで。小氷河期突入故、少しく時期は、ずれそうですが、使い古され、それでも新鮮さを失わない「冬来たりなば、春遠からじ」との、暖かく、ゆったりとした「大和心」を味わいながら、春を待ちましょう。

 

 縄文人は、冬と春、どちらが良かったのだろうか。きっと、いや・・・