縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

忍び手再び

 40日祭でした

 神道祭での法事です。同級生が亡くなって早40日。本来ならば、50日祭として行われる法事なのですが、没後、3ヶ月をまたいでの法事(仏教での49日・中陰期間)を忌む風習・作法(?)が在るための処置の様です。一節には「3(み)月(つく)」つまりは、「身につく」、所謂、「不幸なことがしょっちゅうある」という、語呂合わせに過ぎなさそうなのですが・・・。

 仏教系と神道祭、死者を弔う心は変わらないのでしょうが、一体、何を基準にして、物事を決定しているのでしょう。私には、所詮、坊主・神官の金づる用としか写りません。

 ただ、初七日から始まる区切りの法事は、残された家族の悲しみ・寂しさを和らげていく作用を持つ、という点である程度は許容しています。  墓地・仏壇をも持ち得ない人達にとって、亡き親族への思いを確認する作業は、区切りの「法要」、所謂、1年祭(1回忌)3回忌(3年祭)等等でしょうか。「あ、もう○○年経ったのか」です。尤も、そのことすら思い浮かばない人達は、論外ですが。

 

      同級生、その魂安らかに!