縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

刻一刻

 春への時が・・・

 時を刻むとは、どういうことなのでしょう。「時と時間と時刻」、それぞれの概念に相違があるようですが、違いは「時と時間と時刻」の概念を提唱する人達に直接聞きただす方が良いかもしれません。説明を聞いても、恐らく、?となりましょうが。若しかしたら、哲学的側面を有しているのでしょう。

 市井(特にど・田舎)に・・・と生きる人達にとって、「概念の違い」は関係ないようです「ただ、今を生きる!の世界ですので。

 今日の私は何を言いたいのでしょう?

 よく言われる、「田舎は、の~んびり・ゆ~っくり・スローモー」ですが、体験したら違いが直ぐにわかります、「チゲエヨ(バカモノ若者風)」と。都会(田舎外)にいて、じ・か・んで喘いでいる人達、2~3年、田舎暮らしを経験することをお勧め。多分に「じ・か・ん」は、他から強要される事ではなく、自分の中にある事を認識するはずです。

 何の事はありません、「全ては自分自身の中に有る」と言うことを自覚することでしょう。自分自身に起こることは、全て、「自身の責任」と言うことです。

    昨今の、「我良ければ」風潮への提言とします。

 

           では又