縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

カンコロ餅発注と持久走

 年末風物詩

 むか~しは、白餅・カンコロ餅共に各家々(通常何軒かが共同)で搗いていたものです。昨今の餅搗き事情。白餅は、家庭用機械(モチッコ等の餅つき器)で処理。しかし、カンコロ餅は、家庭用機械には不向きの様で(昔風に言う、「むけない」状態となるため)餅搗き業者への依頼とする家庭が増えているようです。

 で、本日、早朝からとある業者宅まで、例の3人娘が出張ります。軽自動車の中には、餅米・カンコロ等、カンコロ餅用具材を積み込んでいます(業者への餅搗き依頼は、原則、具材持ち込みとのこと)。私は、只の”強力”。荷が多く、各家の責任者3人までが乗車の権利。彼女たちの帰宅は、11時過ぎでしたでしょうか。

 実はこれ、訳がありまして「持久走を、応援してから帰る」のメールにある様に、地区の小学校の持久走大会でした。

 「全部で、37人ほどだったバイ(むか~しの、一学級分にも満たない)」

 「一年生は、3人、2年生はゼロ(昨年の入学者ゼロ)」

 「走っとる子達より、応援の人の方が多かった。おまけに、手作りの応援グッズ(空き缶の中にコメなどの音が出る物を入れていたらしい)も持っていたし」

 「女の先生が、寒いからぜんざいでも、と勧めてくれたが、誰も行かんかった」

 「スーパーの店員さんも、全員で応援しとった」

              etc.etc.

 13日の餅搗き交流会もそうでしたが、若い人達を見る事が余りありません。少子化と集落消滅・・・、行く末を思うと悲しくなりますが、(老人)パワーがある限り、この地を支えていきます。

 

        縄文人は、もっと少なかったとバイ