縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

狂想曲

 巷にあふれるにわかキリスト者の群れ

 教祖の誕生日だとか。一神教キリスト派とでも表現出来ましょう。他には、ユダヤ派・イスラム派など。日本で言えば、仏教(=仏陀教)の各会派。更に、キリスト派にカソリックプロテスタントあるいは原理主義等々があるように、日本においては浄土真宗の4派閥等々。宗教界は、縄張り争い(信者獲得)で、てんやわんやの様相。

 何処が違うのか、ワダスには釈然としません。日本人であること、所謂、八百万の神を戴いていることに、感謝をするべきなのでしょう。八百万とは、とどのつまり、何処にも神様がいらっしゃると言うこと。他人に、”神”を強要されることが極端に少ないと言うことでしょうか。ただし、弊害もあり、最たるものは、実体のないもの・首塚等に手を合わせることでしょう。

 ともあれ、商業主義的”宗教祭り”には辟易している人間のひとりです。マ、日本人のお祭り騒ぎ癖がそれを煽っているのでしょうが。因みに、アメリカでは「メリークリスマス」との挨拶が別表現「ハッピーホリディ」に取って代わられつつあるのだとか。多文化・移民国故でしょう。尤も、ISを作ったCIAは戴けませんが。

 本日は、午後から本年最後のつもりの草伐り・樵。ワダスは駐車場・町道・放棄畑の草を、カカとS嬢(時々ワダス)は、切り倒していた大木の整理と草伐り後の掃除。結構な汗をかきました。

 

      明日はカンコロ餅受け取り行