縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

(囓られた)蒼きトマトを見よ

 見事にやられました

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犯人は、ここに。f:id:jyoumonjin:20160630205606j:plain

 直ぐ側がトマトの木(囓られたのは黄色トマト。やや、柔らかめの皮)

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 今朝のカカ、トマトの木にカニが登っているのを発見。これまで、「何者の仕業か?」と訝しく思っていたのですが、答えが出ました。そう言えば、「のとこ」の地豆を覆っている網の上にも登っていたとか。茄子を傷つけたり、豆の芽を摘んでくれたりと、結構あちこちの作物荒らしをやっているようです。こうなったら、作物毎に、忍び返しならぬ、カニ返しを工夫する必要がありそうです。

 ところでこのカニ達、昨年でしたか、お・孫ずの一人が、わらわらと、石垣の穴から出てくるカニの群れを見て、目をまん丸、絶句していた様子が思い起こされます。私の子供の頃は、糸の先に綿を付け「カニ釣り」を楽しんでいましたが。

 物事を成すに楽なことはないようですが、家庭菜園も、同様です。でも、それも又、人生の一部と捉えて、楽しめれば良いのでしょうが、私の年代は、その「楽しむ」と言うことが苦手な様でして、なにごとにも、「真剣に・全力投球」を目指しているようです。特別肩に力が入っているわけでは無いのです。若しかしたら、「楽しむ」意味が理解できてないのかも知れませんね。ですから、最近の若人達が特にスポーツの分野で「楽しんできます。楽しめました。」とのコメントを聞くに、違和感たっぷりです。困った団塊世代です。

 

   縄文人は、縄文人らしく生きれば、それが「楽しむ」ことかも