縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

熱中症にかからんごと

 と、周囲が心配してくれてます

 で、草刈り考を。

 ワダスの作業は、殆どが午後から。本日も午後からのこのこ(暑い最中、単独)と、伸びきった草たちを相手の作業。

 汗と鼻水が半端有りません。でも、孤独な作業も、大変なストレス発散の武器と成ります。草たちを、刈り払い機(草刈り機)でなぎ倒す、いや、カミソリで切り裂いていく様な感覚は、格別です。ただ「美化」と言う名目での作業が果たして、縄文の生き方にあっているのか・・・、との疑問は絶えません。切り裂きながら、草たちとの会話は続けてはいますが、時折、しっぺ返し(草木が顔をめがけて飛んできます)を食らいます。その都度、ゴメンなと。兎に角、皆、生きているのですよね

 Uターン後の一番の収穫は、植物たちの旺盛な生命力を感じ取ったこと、そして、植物と人との密接な関わりあいを痛感出来たことです。

 世界のあちこちで、「非人間的」と思える事件が毎日報道されています。どの程度の信憑性かを諮る術を持ち合わせてはおりませんが、「我良し、人良し、みんな良し」と、三方得の心・・・所謂、縄文のこころ立ち返れば、少しは、和やかな世界(若しかして弥勒の世)に近づくのではと、思います。

 草刈りをしていますと、例えば、棘のある物や蔓状の物は、刈り払い機などに絡んで来て往生します。この時、一瞬「カッ!」とはするのですが、これ、若しかして「あんたもさ~、つまらんことで他人に絡んでんじゃ~ん?」と、聞こえるのですが、考えすぎでしょうか。

 

         縄文人、明日も勉強