縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

やうやう白くなりゆく山際

 と、春ではありませんが

 ここ何日か、痛み止めのお陰もあり、寝付きと、起きが幾分良さそうです。今朝も、4時前、爽やかに目覚めましたが、起き出すことは出来ません。隣のカカは、気持ちよさげ。ワダスの室内移動はかなりの騒音をまき散らすため(歩行器使用・右足けんけん)、起こしてしまうは必定。

 あれやこれやと、浮かぶ語彙を愉しみながら、夜明けを待ちます。

 5時前から、うっすらと、縁側の外に薄明かりを覚える頃、カカの起床はまだかいな、と観測するも、未だ白河夜船。「6時頃には・・・」との思いで、表縁側方向の、曙を愉しみました。

 昨日、五島の紹介(NHK・殆どが福江・五島市)ビデオを眺めるに、被取材主人公の女性が「こういう夜明けは都会では見られない」と、海岸縁でのシーンをバックに話していたのが頭に残っていたのでしょう。都会では、”やうやう白くなりゆくビル際”とでも成りまするか。

 都会(コンクリートジャングル)を揶揄するつもりはありませんが、自然と共にと、縄文を追い求める私にとって、四季を含め、移ろいにこころを寄せながらの一日は、又、格別です。

 ”入梅”にも拘わらず、当地に梅雨入り情報無しです。やはり、梅雨明けを感じませんと、次の「夏は夜。月のころはさらなり・・・」とはいかない様で。 

  PS.清少納言様、一部引用つかまつりました。よしなに。

                では又