縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

嗚呼!としまえん

 閉鎖とのこと

 かって、関東エリアで禄を食んでいた頃のことでした。

 友人より贈られたチケットを手に、倅を伴って”としまえんプール”へ直行した時のことです。

 海育ちの私にはプール自体、魅力はありませんでしたが、倅(当時2才か?)にとっては未知の領域、喜んでくれるとの思惑。

 混んでいましたね~、その日のプール。勝手がわからず、倅共々、兎に角人混みの中へ。水デビューの倅とあり、”遊べる所”のコンセプトで、水かさ膝高下をセレクト。

 しばし水と戯れし倅、同年代の俄お友達との交友があったようです。フムフム・・・、放っといてよかばい。

 が、ふと、我に返った私、「ン?あん子はどこ?」状態。焦りました。周りを見渡しても見当たらず、困惑の中、何気なく下を向いた時「あら~、お前、何んばしよっと!」。

 僅か30Cm足らずの水の中、上向き・両手でのかき手、そして、一杯に見開いた目・・・。沈んでいたのです。

 抱き上げた瞬間は一泣きしましたが、直ぐに正常化。「これで、暫くは水恐怖症か」と気落ちした私でしたが何のその、抱っこして波のあるプールへ移動した途端、一人で水の中へ。

 どがん子ね!が正直な感想。事後、五島では、4~5歳頃、浮き輪に掴まり沖合へと出て行くのに「あ~、気持ちんヨカ~」と恐怖心無し。保護者は「フム、あと?メートル沖でもヨカかな」と、陸地での読書+音楽を愉しみながらの救助体制。

 どがん親子ね!

 尤も、首が据わらないうちから天井に放り上げ、きゃっきゃっと喜ぶ(?)倅に目を細め、有頂天になっていたこの毒親、「あんた達、本当に初めての子?」と、近所の小母さんに呆れかえられた言葉が懐かしくなります。

 この倅、兄弟同様に育った私の従兄弟と海で何をしていたか「も~、台風は来よっとに、荒海ん中で泳ぐとじゃもん by 亡母」。

 としまえん、あの日をありがとう。

                 では又