縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

長崎原爆の日

 二つ目の被爆地

 午前11時2分、草刈り中の公園内、サイレンの合図で長崎市の方を向き、黙祷開始。私・カカ、そして伯母。伯母はヒバクシャ。膝を突いたままで、手を合わせていました。

 今年の5月27日、オバマ大統領が広島で派手な「ショー」を繰り広げていました。このショー(オバマ歓迎セレモニー)には、長崎のヒバクシャは、誰一人、参加できなかったとか。外務省経由での参加申し込みにも、「何度も要請したのですが、検討しているというばかりで、最後まで受け入れて貰えませんでした。 by 長崎大学核兵器廃絶研究センター 中村桂子准教授」。因みに、広島はウラン爆弾、長崎はプルトニウム爆弾とのこと。

 長崎への原爆投下に関する研究等で面白いのは、「広島の是非については議論の余地がある。だが、長崎を正当化するもっともらしい理由を聞いたことがない。 by ニュルンベルク裁判主席検事米軍准将、デルフォート・テイラー」と、「1発目の原爆投下の必要性をどう考えるかはともかく、8月9日に長崎に落とされた2発目の原爆は、ほぼ間違いなく、不必要なものだった。 by スタンフォード大学バートン・バンスタイン教授(『核の戦後史』より)」。

 ダメリカが「核廃絶」を叫ぶ時、その時は、核以上の兵器を自在に操れることを意味するでしょう。ショーマン、オバマの空疎な演説に感激する私は、ここにはいません(実は、オバマ演説に失望したのは、大統領就任時。異様な違和感がありましたが、何がそうさせたかは、記憶にないのです。)。

 長崎が最後の被爆地?違うでしょうね。世界のあちこちで使用されているとの情報が散らばっています。「小型化」そして、最近発表された「近代化」。ヤレヤレです。むか~し、某大勲位が「核は業(ごう)の兵器」と宣ったことがあります。核を持っていますと、他が核を持つ事に怯えるのでしょう。従って、「俺の核は良い核、お前の核は悪い核だから持つな」核不拡散とは、核を巡る論理矛盾でしょう。

 

   縄文人に、武器は不要、協調が信条だから