縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

休養日

 でしたが

 カカ、「のとこ」の草取り。ただ、昨日の雨のしみ込みは少なく、本格的畑作業はまだまだとのこと。

 ワダスは、叔父リハビリ後の帰還お迎え(送りはカカ、双方共叔母付き添い)。坂道降は、難なくの状況。少しく風が強かったので、気をつけてはいましたが、二本杖の効果は抜群と見えます。途中叔母「外回りは終了。後は家の中」、これは、後始末のこと。帰島する子供達用の準備と後始末、大変なのです。カカも、体がつぶれないかと思う程の働き、頭が下がる思い。島で心待ちする親たち、全てが同じ思いでしょう。亡き母へも、感謝と懺悔です。

 多分に、ここの集落は今の世代で終了するでしょう。願うことは、子達の帰島を待ち望む親の心情を、理解して欲しいと言うこと。今や、AI墓地すらできつつある世の中、本来の”こころ”が失われていきつつあります。文字通り、AI的人間化。

 私が掲げる「縄文人」は、人の持つ”こころ”を表しているつもりです。ラグビーで有名な「One  for  all, All  for  one」に似ているのかも知れません。昨今の、ギスギスした世の流れに、警鐘を鳴らしたい。

 で、こんなものを・・・

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  キウリと海用靴のコラボ。カカ、お構いなし。明日もまだこのままでしょう。他には、朝顔とのコラボも有りですが、割愛。

 

           では又