縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

うまかった~

 昨日収穫のツワを食す

 「苦みんあっじゃろ?」に「あら、わからんじゃった。春先の苦みは毒ばい。」とワケワカメを言いながらツワの煮染めをほおばるワダス。

 フキノトウに始まる春の使者二番手がツワ。勢いが違います。これからは、毎日が”使者達”からのお届け期間となりましょうか。

 こうして、今年の5月でUターン丸3年となるワダス達にとって、有り難みが少しずつ削られていっているようです。いけませんね~、感謝することを忘れては。自然から命の元を戴くという行為、そして、それに感謝すると言う行為は、正しく、縄文人の証。

 本来、こうした自然への感謝が”神道”の本筋なのですが、現代では所謂「神職」なる職業的俗物達が跋扈している故、ワケワカメ状態。昨年の神職姉弟殺人事件が惹起される事など、神職最高位たる天皇は、さぞ苦々しく思っているのでしょう。

 「神道は祈り」と覚えます。しかるに教義無し。従って、そこら辺の俗物神職がしゃしゃり出る幕はありません。確かに遠い過去には「知的情報をもたらす職業」として「神職・寺坊主」はありましたが、現代にまで持ち越す必要はありません。儀式的宗教は、この世の憂さ晴らしと心得ます。

 神官は代価を求めずただ祈るのみ(天皇は唯一の神官)。

 午後からキコリコ。昨日伐採分の処理。いよいよ、露天風呂でも作りませんと、薪柴の処理は困難かと・・・。

 

      明日は午後から当地割り当て確定申告