縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

家祓い

 当地では”やばら”と称します

 午前中の出来事。神道にての行事でした。カカ、袋を持ち、神主に随行(幾度かの記述ですが私は子供の頃に経験)。袋の中は、各家庭から供されたお礼金(お初穂と称します)と清め米の残り。神主のお持ち帰りです。

 師走とは、坊主・神主が忙しく走り回る様を言うのでしょうが、先日も、何処ぞのお寺さん、走り回っていました。信仰のことはさておき、暮れ(実はお盆もですが)は家祓い等での稼ぎ時でしょうか。余計なことでしょうが・・・。

 今年も後10日程で除夜の鐘。巷では、「五月蠅い」との理由で、「除夜の鐘突くな」との声有りとか。以前は、近隣の幼稚園・保育園等、子供の声が五月蠅いとのことで訴訟騒ぎまで起きているようでした。

 どうなんでしょうかね~。煩がる人の状況が判然としないので何とも言えませんが、ご自分も子供の頃が有ったと言うことをお忘れなんでしょうか。子供というもの、元気一杯過ごしている時は五月蠅いものです。許してあげる気持ちは無いのでしょうね。

 私は現役の頃アパート住まいでありましたが、近所の子供達の声を聞くにつけ、元気を戴きました。段々と「世知」人の言い分が大きく成っているのでしょう。今こそ「我良し人良しみんな良し」のこころに目をむけてほしいものです。尤も、嘘と誤魔化しの政府首脳・官僚を戴く日本では「我良し今良しお金良し」の世界観だけが跋扈するようですが。

 本日の作業、畑一枚の中、多くはキコリコ(樵)。町道土手は段々とすっきりしてきましたが、先日の同級生の言う「木ば伐れば草ん生ゆっとぞ、草ば伐る目に・・・」がそのまま。マ、いいか、の世界。

                では又