縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

おだいっさん(お大師様)の日

 今年も迎えることができました

 我が家も永年「おだいっさん」の一日を過ごしていたのですが、それも、一昨年までで、寄る年波と申しましょうか、お客さん(全部お年寄り)ゼロの結果を受け、自宅人のみの一日。S嬢家のみの「おだいっさん」開催としています。このようなところにも限界集落の大波が押し寄せているのでしょう。

 「おだいっさん」の説明をば。

 四国遍路でおなじみの方が多いと思いますが、「おだいっさん」とは同行二人と表される弘法大師空海)のことです。当地ではかなりの数の弘法大師像をお祀りしております。理由は「昔な~、なんか不幸んごとんあった時、弘法大師に願掛けしたと。そのお礼に、毎年お大師様の日に、お接待するとよ。by叔母」らしく、私が子供の頃は、悪ガキたちはこぞって何軒かをかけ持ちにして、”お参り”と称したごちそうに預かっていました。

 今は昔ですがこの行事、これから何年続いていくのでしょう。取り敢えず、ここの集落はS嬢家のみとしているようです。お手伝いは叔母・カカ。3人娘が三日がかりで、準備・行事・撤去。先人たちの残してくれた”こと”をどこまで守り続けていけるのでしょう。私には「ほだ(足腰)ん立つまでたい」との、亡母の声が聞こえそうです。

 虚偽に満ち満ちとした今のご時世、つい、追憶に浸りそうになりました。昔は良かったではなく、今後の進路をはっきりとさせる必要ありとの覚悟をもって、生きていきます。同行二人の心意気で・・・

                          では又