縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

秋雨前線?

 梅雨前線が解消されたと思っていたのですが

 縄文人はただ黙々と過ごしましょう。晴天続き、雨続きに毒づくことは宜しくありません(自戒を込めて、カカへのメッセージ)。

 昔、何かのアニメで見た記憶がありますが、「お師匠さん、地獄と極楽とはどのようなものでしょう」との問いにいきなり首を絞められた御仁(確か、商家の主人だったような気がします)、苦しさにバタバタした後急に絞め手を外され「どうじゃな?」とお師匠。「苦しかったのは地獄、楽になったが極楽じゃ」とも。

 ぽか~んとする御仁、後、にっこり。どうやら一つの理解(悟りとは言えないでしょうから)を得たようでした。この話、首を絞めた部分以外は朧気でありまして、作者の意図(若しかしたらどこぞの教典的エピソード?)をどのように理解するかは各人の裁量と言うことでしょうか。

 この世は受け取り方ひとつで毒にも薬にもなりそうです。天候にしても、”晴耕雨読”はあまりにも哲学的過ぎますので、天候とのお付き合い表現方法をこれから研究してみましょうか、楽しく暮らせる生きた言葉としての。

                             では又