縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

叔父の100日霊祭

 午前中に執り行われました

 神道での儀式、没後100日目までを”霊祭(10日祭・50日祭等々)”とし、1年目から”式年祭”と呼ぶそうです。つまり、今年10月27日直前(祥月命日を越したら具合が悪そうです)に行われる儀式を1年祭とし、以後、3年祭・5年祭・10年祭と続け、後は10年毎の儀式とするようです。

 今日の宮司、おや?と思えるお言葉「何も形式に囚われんでも良かです」。我が意を得たりですが、葬儀関係でいえば他宗教との絡みもあることから、色々と悩みもあるのでしょう。今日、敢えて突っ込みなしにしましたが。

 因みに、筆者の亡母関連の儀式は、50日祭(翌日祭・10日祭らしきを含む)迄で終了。後は常に亡父の位牌共々過ごしています。

 世間的に見たら式年祭をも行わない親不孝な息子と映りましょうが、特に反論はありません。「供養は胸の内にあり」が筆者のモットーです。そう言えば、叔父の50日祭儀式中、式壇(?)を見ているうちに胸の中央付近に暖かいものを感じ、亡母と叔父のツーショット笑顔が式壇中央に見え、一人ニヤリと。初体験ではありました。自宅仏壇では色々と・・・。

                           では又