縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

お大師様が”びっつんよう”なった

 びっつんようなった=きれいになった

 午前中、お大師様像と、御先祖・両親の位牌を含めた、仏壇の掃除。いつもは、お盆と正月だけでしたので、今年が初の中間掃除です。心なしか、お大師様がすまし顔に見えます。何度かブログに書いていますが、カカの検査入院当日、お灯明を上げようとした時、両親の位牌の側に、お大師様像を見ています。特に驚きはありませんでした(当時、お大師様像は五島に、両親の位牌は移住前の地に。)。

 ところで、こんな話、又聞きダス。

 神道の建物で、毎月命日該当者を祀る行事があります。そこでの話で「成る程、日本的」と思えるエピソードが。この行事への参加者は、月命日該当者の親族。当然、神道系の宗教団体と成ります。が、「27日はおだいっさまばい。お参りに行かんば・・・」とのこと。ま、クリスマス祝って初詣行って・・・。善としましょう。この様な民族ですから、したたかに、優しく生きていけるのかも知れません。なにより、押しつけがましい宗教心を他人に強要しにくい世界ですから。有るのは、ただ、宗教的しきたりのみ。でなければ、無宗教を自認する私には生きにくい世界になります。

 実りを待つものたちを・・・先ずは、前庭の桃、そして、スダチの花(もうすぐか?)

f:id:jyoumonjin:20160425224117j:plain

f:id:jyoumonjin:20160425224307j:plain

 「のとこ」で、ご供養のついでに、フキと柿。

f:id:jyoumonjin:20160425224527j:plain

f:id:jyoumonjin:20160425224625j:plain

 

          縄文人も、自然に感謝。