縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

夜明け前

 今昇らんとする日輪と西の空の居待月

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                本日当地の夜明け07:18

 日本の夜明けはいつに成るのでしょう。諸々の悪しきモノを浄化してからと言うことに成るのでしょうか、それとも、夜明けと共に、徐々に浄化か。ヒト一人一人の思いにかかっているのでしょうネ。そのためには、ヒトもどき一人でも少なくなれば良いのでしょうが。

 カカ、朝一から”神社札”なるものを受け取りにさる神社へ。各家庭に配布し、集金、神主達へ納めます。年末の恒例行事ではありますが、神棚を設置していない家庭では拒否(当たり前ですが)。

 明治維新後のドタバタ中起こされた”廃仏毀釈”を研究すれば、さぞ、面白かろうとは思うのですが、現神道古神道との違い、京都三大祭りの中での”キリスト教的風景”等々、宗教が如何なるモノかと言うことの考察には、興味があります。

 かく言う私、平たく言えば、縄文教でしょうか。基本は”結い”。ゆったりと生きて行くには、相互扶助が必須です。奪ってはいけません。

 で、本日も草爺・婆。畑4枚を処理。あと二日有れば、お正月が迎えられそうです。

                では又