縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

コロナ疲れだけど・・・

 相変わらずの危機感ロス

 ダメリカ人の”我良し”は西部開拓史以来でしょうが(多分に狩猟民族の本能?、日本人は”農耕民族”)、いつの間にか、日本人らしさが見られない日本になってしまった様です。

 大昔、コペンハーゲンへ旅した折、散歩中の横断歩道での体験が、鮮烈に。ボ~ッとしていたんでしょう、信号機のない横断歩道で、暫し佇んだ後、ふっと車の確認をした時、ず~っと待っていたと思われる車が一台。思わず頭を下げ、素早く横断。横断しながら、胸に暖かいものがあふれました。”やさしい”と。運転手はにこやかに微笑む老齢の女性でした。

 今の日本はどうでしょう。昨今取り上げられる無軌道な車の運転ニュースに見るまでもなく、”ボ~ッと生きてんじゃね~よ”状態。

 そして、コロナ騒動。今日も「コロナ感染者だ~」とどこぞに入り込みとっつかまった男、「弁護士を・・・」ですと。マ、日本の行政府が嘘と欺瞞の巣であることを勘案すれば、宜なるかなでするが・・・。事程左様に、他人を思いやるこころが薄れてきているこの日本、立て直すには、真の自立でしょうか。

 縄文の”こころ”を呼び覚まして、人類を明るき未来へ導きましょう。

                               では又