縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

”晴れ女(自称)”去りて

 深夜は雨

 夜中の”玉葱”取り込みが功を奏しました。

 もし”玉葱”を外に干したままでいましたら、今日一日「んたらかんたら・・・」と、一日中、カカの”あった(悪口?)”を聴かされる羽目になっていたでしょう。筆者の早期決断が”耳汚し”を封じましたか。

 ?”耳汚し”と表現した時、現代人のとんでもない”欠落穴”を想起。それは、文字での表現形態、所謂、『SNSに現をぬかす輩』の生態です。匿名をかさに言いたい放題・・との事例山積。

 直接話法と表現しましょうか、文字・映像を遣わず直接会話することの表現ですが、現代人には段々と薄くなっていくように感じます。危険兆候との危惧!

 齢30代直前だったでしょうか、とある”飲み屋”でぼ~っとしていた時「言葉は嘘をつく!ではテレパシーは?」と、考えていた時から「人は嘘をつく、いや、言葉が嘘になる」との結論を持っています(テレパシーならば真実が伝わりはするも、恐らく、殺し合いが日常茶飯事か?と。人族の性<さが>として?)。

 このブログ、筆者としては極力”嘘”を排除しているつもりですが、無意識の部分であるいは”嘘”を書いているかもしれません。読者の方々、<嘘リテラシー>を宜しく。

                            では又