縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

晴れど風寒し

 早か<過ぐる足取り>

 年々、時間の経過にスピード感、年のせいではなさそうですが、物理的証明でもあればと、興味津々です。

 俗に言う「科学的」との概念、果たして現代科学は信頼できるものでしょうか。一説には、「科学的とは、単なる”仮説”に過ぎない」とする向きもあります。やはりエビデンスの積み重ね(追試に次ぐ追試等)が重要と言うことでしょう。一時(?)もてはやされた”ビッグバン”ですら、現在では?の状態です。有体に言えば、ビッグバンはなかった・・・とか。

 ”科学”するとは、疑うことからとの名言もあります。教えられた通りではなく”変”を見つけ、探求する姿勢が又、人生を彩るかもです。

 雑感駄文、そのうちにまとまるでしょうか?

                           では又