縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

逢佛殺佛

 佛に逢うては佛を殺す 

 臨済宗の経典「臨済録」における「解脱へ至るための教え」とされるものです。

 この後には、

 「~ 逢祖殺祖 逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母 逢親眷殺親眷 始得解脱 不與物拘 透脱自在」と続くそうです。(実用日本語表現辞典 より)

 きちんとした生き方等は家族や学校等である程度学べます。が、「解脱(=それ納得?それ本当?)」を求める時、過去からの脱却ー情・執着・あらゆるしがらみからのーを余儀なくされるということでしょうか?。

 同調圧力に流され、人類の未来さえ危うくしている「毒チン騒動」、臨済義玄師の教えを少しく見てみませんか?

                             では又