縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

無題

 晴れ曇り雨

 秋特有ですが、暦は冬。

 目くじら立てずとも、秋と言うことにしておきましょうか。自然と言うもの、人間の傲慢さとは一線を画していまして、実にゆったり。人間共がいみじくも法則化した1+1=2、から始まる所謂”科学的”とされる諸法則、果たして、自然の神秘をどの程度解き明かせましょうか?

 「科学(的)」とは単なる仮説とも申します。所謂、「科学的ではない」とするときの各個人の思考、どうなのでしょう。考え始めますると、大密林の中に入っていくようです。かって、大脳生理学に憧れた時、「こら~、とんでもなかバイ!」と匙を投げたくなった大脳の複雑さ、今後を待ちたい気はありますが、未だに、きちんとした大脳理論(これぞ大脳!)はなさそうです。分け入れば分け入るほど複雑化するといわれる大脳・・・人間そのものを大脳で規定する気はありませんが、人間自体も・・・不可思議。

 わかっているようで、人間たる動物、「な~んもわっかちょらんたい!」が私の持論。人の傲慢さを反省する時間が欲しい。

 因みに、今流行りの毒チン、製造への道のりを含め、到底科学的とは言い難い代物です。

                            では又