縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

確定申告

 朝から役場へ

 セニアカーで先行していた叔母、叔父の件でもあるのか少し時間がかかっていたようです。夕方は物思いにふけるかのような焚火監視。

 当方、約10分ほどの手続き時間。終了後は買い物行。

 試しにと、3軒のスーパーでノーマスク(今までは鼻マスクー軋轢回避のため)。面白いことに、突き刺す視線は感じられませんでした。若しかしてTVで来月13日を宣伝していたのでしょうか?TVニュースを殆ど観ない当家ですので実態を掴めません。次は、通院日に試してみましょうか。

 ノーマスクでのストレスレスと、歩行訓練が合いまった結果でしょうか、なんとなく体の中からエネルギーが湧き出ています。尤、大きな要因は太陽光(大日如来)とは結論しています。

 余談ですが、縄文人は自然に溶け合い、神と混然一体。続く弥生人は自身が力を持ち始めた結果自然を克服(したと誤解し)、自然神との乖離を生んだ・・・と思い始めています。「神道」は自然神のはずですがいつの間にか形骸化。仏教はその自然神への道・・・人の道・・・としてを探る道程かと。特定宗教に興味がない筆者にはその程度の描写しかできません。何せ、所謂”縄文教”らしきものですので。

                           では又