縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

夕暮れの風景

 ”夕暮れは秋”と申しますが

 夏の夕暮れも捨てたものではありません。式部女史の時代と今、違いはありますでしょうか?筆者は、このボ~ンヤリとした情景(ふんいき)に一種の安堵感を覚えます。

 裏庭の連中は元気溌溂、久しぶりの日光を受け着々と結実へ。

 ゴ~ヤ~と隣のナス、確りと支えられています。

 こちらはトマト畑、電柱ほどではないにしろ、「育ちすぎ~(ん?お孫K?)」との評。「裏側ば見てみらんね、びっくっすっほど成っとっとヨ~」とカカ。

 久方ぶり登場のS嬢、ジャガイモの収穫中です。「あよ~、体ん動かんで歯がゆかよ~」と言いながら例大祭を迎えたのが一昨日。永年培ったものが、随所に生きてきます。手伝わないのも又・・・。

 帰島人M嬢、午後の汽船(昔から”汽船”と表現するのが当地)で自宅へと。本日午前中まで、当地でよく働いてくれました。次の帰島は「お盆、お墓掃除に間に合うように帰ります」は、「今度、いつ来っとね?」とのカカ質問への答え。感謝しかありません。

                               では又