縄文のある風景

古里の四季折々に、ゆったりと流れていたであろう「縄文」に思いを重ねて

そして・・・

 お正月後の風景

 帰島人達、それぞれの思いを胸に、それぞれの自宅へ。漂う寂寥感はしかし、年々薄らいでいきます。諦観?それとも、残されし者としての覚悟が徐々に出来てきたのでしょうか。

 子は後ろ髪を引かれる思いで親を残し、親はその子の先行きを思いつつ、それぞれの生活へ。これが繰り返される島の生活。半世紀以上前の私もそうでありました。

 以前、「島の女は強く逞しい」と書いたことがあります。残されし者(夫の多くは漁船等での出稼ぎ)は、一人で家庭を守護。家庭菜園、舅姑の世話は言うに及ばず大工・左官・土方等々、力仕事も含めての何でも屋。弱音を吐いているヒマはありません。自ずと強くなっていくのです。

 が、しかし、残されし時の寂寥感には抗しがたいものがあります。親を残し、今、自分自身が残される身に。

 しみじみと、思い返しながらのお正月も、本日まで。

             では・・・